このコミュニティの名前からそうですが、最近、「ネイチャーポジティブ」という言葉を耳にすることが増えてきました。サステナビリティに取り組む企業のビジョンや、環境関連の国際会議の議論の中でも頻出するこの言葉。「なんとなくポジティブそうだけど、実際どういう意味?」「いつから、どんな背景で使われ始めたの?」という”そもそも”話をお伝えします。
この言葉の背後には、気候変動と並ぶもう一つの重大な地球規模課題、生物多様性の喪失にどう立ち向かうかという、国際社会の模索があります。本記事のタイトル「ネイチャーポジティブという名の革命」は、その背景を探るうえでヒントになる一冊、デヴィッド・タカーチの著書『生物多様性という名の革命』をオマージュして付けました。この本は、「生物多様性(biodiversity)」という言葉が1980年代にどう誕生し、科学界・政策・市民の間にどう広まっていったかを描いています。「ネイチャーポジティブ」もまた、時代が求めた新しい言葉であり、変革をもたらす言葉と私は思っています。
________________________________________
変化のはじまり:ネイチャーポジティブの登場
「ネイチャーポジティブ(Nature Positive)」という表現が急速に広まったのは、2021年頃のことです[1]。この年、国連生物多様性条約の締約国会議(COP)では、2011~2020年の「愛知ターゲット」に続く新たな目標、「ポスト2020生物多様性枠組み」の策定が進められていました。世界が次の10年に向けて、どんな自然との関わり方を目指すべきか——その方向性を探っていたタイミングです。その前の目標が「損失を止めるための行動をとる」でしたので順当にいくと次期目標は「損失を止める」だけに留まる十分可能性もありました。
そんな中、WWF(世界自然保護基金)やThe Nature Conservancy(TNC)などの民間環境団体が中心となり、「ネイチャーポジティブ」という新たなビジョンを打ち出しました。この概念は、「生物多様性の損失を食い止める」だけでは不十分で、「自然を回復させ、健全な状態へと導く」ことを目標とする、いわば「反転攻勢」の姿勢を表しています。
気候変動分野の「カーボンニュートラル(炭素中立)」と対になるような存在になることも目指されていました。カーボンニュートラルが「温室効果ガスの排出と吸収のバランスをとる」ことを目指すように、ネイチャーポジティブもまた、「自然に与える悪影響を減らし、自然の回復を進めてプラスの状態に導く」ことを指します。
重要なのは、この言葉がただのキャッチコピーではないという点です。この考えに賛同する組織や政府、専門家たちは、その後「ネイチャーポジティブ・イニシアティブ(Nature Positive Initiative)」を立ち上げ、政策提言やガイドライン作成、企業との連携を通じて、実際に社会変革を進めようとしています。
________________________________________
より野心的な目標をめざして
なぜ、こんなにも「前向き」な言葉が求められたのでしょうか?
その理由は、これまでの国際的な生物多様性目標の達成状況にあります。
2010年に採択された「愛知ターゲット」は、「2020年までに生物多様性の損失を大幅に減らすこと」を掲げていました。しかしその多くが達成されず、自然破壊は依然として深刻なままです。こうした現実を踏まえ、民間団体や専門家たちは、次期目標ではより意欲的で、明確な「回復」を掲げる必要があると主張しました。
つまり、「これ以上減らさない」ではなく、「減ったものを取り戻す」へ。
そして、それを一人でも多くの人が理解し、共有できるようなシンプルで力強い言葉として選ばれたのが、「ネイチャーポジティブ」なのです。
________________________________________
分かりにくい? それとも未来の常識?
とはいえ、「ネイチャーポジティブって、正直ピンとこない」「カーボンニュートラルと比べて、抽象的で分かりづらい」という声もあります。
確かに、カーボンニュートラルはCO₂という明確な指標があり、社会全体がそれを基に動きやすいという利点があります。一方、ネイチャーポジティブでは、水質、大気、生物種の数や分布、生態系の健全性など、複数のパラメーターを扱うため、その数値が地域によって重みが変わることです(開発される森林面積(ha)が同じ数字でも、本州と、独特な進化を遂げやすい「島しょ」では影響は全く異なります)そのため、測定や説明が複雑になりがちです。
でも、それは「分からない」というより「まだ慣れていない」だけなのかもしれません。気候変動も懐疑論や陰謀論などがテレビでも取り上げられ、社会が本気の対策を講じるまでには、時間と努力が必要でした。自然の回復についても、これから測定手法や指標が整い、誰もが「見える化」された成果を共有できるようになっていくはずです。
________________________________________
終わりに:希望としてのネイチャーポジティブ
ネイチャーポジティブという言葉には、単なる環境目標を超えたメッセージが込められています。それは、「自然は壊れる一方ではない」「私たちの選択と行動で、自然は回復できる」という希望の表明です。
カーボンニュートラルが、エネルギーの未来を左右する目標であるように、ネイチャーポジティブは私たちの暮らしと命の土台である「自然の健全さ」を守るために、避けて通れない目標です。決して「理想論」ではなく、むしろこの先の社会にとっての「必須条件」なのだという認識が、もっと広がっていくことが求められています。
自然と人間の未来をポジティブにする。その第一歩は、この言葉に込められた意味を、私たち一人ひとりが理解し、日々の選択に少しずつ反映させていくことなのかもしれません。
[1] zu Ermgassen, S., Howard, M., Bennun, L., Addison, P., Bull, J., Loveridge, R., … Starkey, M. (2022, July 23). Are corporate biodiversity commitments consistent with delivering ‘nature-positive’ outcomes? A review of ‘nature-positive’ definitions, company progress and challenges. https://doi.org/10.1016/j.jclepro.2022.134798